アンジーとは
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「アンジー」とは、心にひびくうたをつくり、うたい続けているバンドです。
そこには多くの歴史が流れていますが
それを知ったきっかけが何であれ いつであれ
何かおおきなものを感じずにはいられないでしょう


現在のメンバー
(2000.11 少々補筆...意味あるのか)

水戸 華之介(みと はなのすけ)

Vo. 1962.6.7生

 
アンジーのヴォーカルであることは言うまでもなく、それ以上に「ことば」の作り手としての印象が強い。ロックに文学を感じさせた、ワタシにとっては最初の人。(そーいえば、「ブンガク的なパンツ丸見え」という名言?もあったわのぉ)
 アンジー活動休止後、GOO、エレカマニア(エレカマニアではアルバム2枚)を経てソロへ。「水戸華之介」として、1996年末、カヴァーアルバム「メイドイン・バビロン」を出す。
現在は「水戸華之介&3-10Chain」を率い、精力的に活動中。2000年10月、アルバム「アドレナリン」リリース。

中谷 ブースカ(なかたに ぶーすか)

G.  1963.4.20生

初めて見たときは、スカートをはいていた。名前も「中谷ブースカ」だった。多くの名曲を残す。
ワタシがブースカさんで一番憶えているのが、91年の4月(あ、あれはどこだったかなぁ...サンプラザかなぁ)ライブの席で28歳の誕生日を祝ったときだ。なんだか釘付けにされてしまったわけだ。思わずビジュアル(?)的なところが話題になることが多かった人だけど、なんだかワタシはとてもひかれていたわけだ。うまくいえないが。
アンジー再開時には博多から駆けつける。現在もメロディーメーカーぶりを至る所で発揮している。

岡本 雅彦(おかもと まさひこ)

B.  1963.9.9生

「岡本まさひこ」→「岡本様ひこ」→「岡本有史」→。アンジーに加わったのはいちばん最後だった。アンジーもうひとりのメロディーメーカー。
周りにファンが多すぎたせいか、アンジーの頃はあまりいっしょうけんめい岡やんゆーてたわけではない。が、やはり「でくのぼう」の前のMCは楽しみで楽しみでしょうがなかった。
アンジー活動休止後、GOO、エレカマニアと水戸さんとともに歩む。
現在社長業のかたわら、DJ、ベース等幅広く活躍中。

藤井 がちゃ彦(ふじい がちゃひこ)

Dr.  1962.10.11生

アンジーのリズムをきざみ出していた。やっぱり、がちゃさんならずしてアンジーは語れまい。(と、よく他でアンジーのナンバーを聴くと思った。)
がちゃさんといえば、やっぱり最後の日比谷の「泣くな」に尽きた。暫く(あ、今もだが)ワタシはその後がちゃさんがちゃさん言っていた気がする。すごく男気を感じるんだよなぁ....
アンジー活動休止後は、DIXIE CHICKEN、チェストフィーバー等に参加。その後長門に帰ったらしい。1994年に開かれた壮行ライブは涙なくしては語れなかった。現在はサラリーマンとして勤務のかたわら、アンジーの活動に駆けつける。

アンジーの足跡

(「追加したい項目」を募集します。気軽にメールください)

1980

山口県長門市でその歴史をスタートさせたらしい。
Vo.三戸華之介 G.植中伸二 Dr.藤井がちゃ彦 B.中谷のブースカ

1981

メンバー3人(ブースカさんはもう1年あと)高校を卒業し、その活動の舞台を「博多」に移した。

1982

この年から博多で本格的に活動を開始。

1983

初のソロライブを実施。
また、地元ステーキ屋のCMに初登場。強烈な印象を残したのもこの頃らしい。

Vo.三戸華之介 G.嶋尾ジョージ Dr.藤井がちゃ彦 B.中谷のブースカ

1984

初のカセットマガジン「木偶の坊」を発売。

1985

3月にカセットマガジン「罪と罰」ビデオクリップ集「HELP!4人はでくのぼう」を発売。
8月にカセットマガジン「ガセネタ」を発売。

1986

2月、ファーストアルバム「嘆きのばんび」発売。
博多を拠点に全国で活発にライブ活動を展開。10月25日「博多さよならライブ」を行い、上京。

Vo.三戸華之介 G.中谷のブースカ Dr.藤井がちゃ彦 B.岡本様彦

1987

キャプテン・レコードから「砂漠のマドンナ」「トモダチ」「髑髏の丘」3枚のミニLPを発売。
また、バンビミュージックからソノシートマガジン「もやし時代」、EP「ロックンローラー」発売。
上京後初のソロライブ「雲をつかむ日」など、各地で活発にライブを行い、メジャーデビューにむけて歩んでいたらしい。

1988

5月、シングル「天井裏から愛を込めて」LP(あぁ懐かしい)「溢れる人々」同時発売によりメジャーデビュー。
三戸さんがスキンヘッドにしたのもこの頃らしい。
あ、暮れにはシングル「素晴らしい僕ら」とアルバム「新しいメルヘン」が出てた...(またも同時発売)

1989

年号もかわり...っと。あ、「P−ROCK」(ポコチン・ロック)はこの頃だっけ?!
4月、シングル「銀の腕時計」と、銀腕を収録した「嘆きのばんび」がメジャーにてリリース。
秋...9月にシングル「蠅の王様」10月にアルバム「黄金時代」リリース。(予約特典は「トランプ入りパッケージ」!!)12月に渋谷公会堂で2DAYS。
...あ、「夢で逢えたら」に出たの、この年だっけ?!

1990

2月に新宿ロフトでオールナイトライブ。その後、長門でレコーディングされたアコースティックアルバム「HISOKA」が6月リリース、アンジーの新境地(同じ世界だと思うけど...)開く。その後「ポンポコピー」ツアー。(その後その「アコースティック」なスタイルを暫く「ポンポコピー」と呼び慣らす)
10月10日「しあわせます」のライブの後、11月遂に名盤「窓の口笛吹き」がセルフプロデュースで発売される。
暮れの「口笛ならして」ツアーでポンポコピースタイル再び。

なんだか盛沢山な1年であった。

1991

「アンジー結成11年と28日記念・ライブトマト放送開始4年と8ヶ月記念森の仲間たちスペシャル」が日比谷野音で開催。それぞれのメンバーが別ユニットで出てきたのがおもしろかった。特典でもらえた「ハッスル・マッスル」のCDを見れば見るほど、メンバーが後の「Giant Orange Opus」(通称:GOO)ににているように思えてならない(^^;)
10月のライブ(9日・日清パワステ...アコースティック、10日・日比谷野音。ワタシは10日しか行けなかったが...)もよかった。
あ、単行本「ファーブリ昆虫記」が出てたね、この年。

1992

年の初めにファンクラブから届いた会報で、突然活動休止の報に触れた。最後になったアルバム「渦」は3月に発売された。
最後のツアーがあって、その後、5月2日に、日比谷野外音楽堂のライブ。ここでアンジーはひとつの幕をおろした。

その後を追うように、5月21日にベストアルバム(CD2枚組)「雲をつかんだ日」6月にアルバム「RARE−TRACKS」発売される。

そして4人4様の活動がはじまったわけだ。

1993

BAMBI★Musicから(で、いいのかな)CD「+"α"」発売される。なお、この発売コードは「PS-4649」と、意味深げ。

1994

がちゃさんが博多に戻るからとかで、その壮行ライブが4月5日に日清パワーステーションで行われる。がちゃさんにゆかりの深いバンドが続々と登場(実はDIXIE CHICKENを初めてみたのはここだった)最後に、アンジー再結成ともいえる、シアワセ来たる。「4人」が揃ってステージに。
また、この年、「溢れる人々」がQ版化された。

1997

いろいろな前身を経て、「アンジーきねん館」オープン。

1998

3月博多のイベントで、「アン」(水戸さん&中谷さん)が結成...?
アンジーの曲を演ったらしい。「ジー」はもうちょっと待ってということらしかった。

1999

いきなり再結成への胎動。3月13日、「さよなら西新宿」移転を控えたロフトでのライヴが行われる。
5月2日、新曲1曲を含めたベストアルバム「Angie's Life」発売。また、赤坂BLITZでワンマンライブが行われ、ここで「恒例第2回ファイナルコンサートツアー」の全貌が発表される。(8月13日より、名古屋、大阪、広島、東京、福岡の5都市でライブ実施)
7月7日、シングル「LESSON」発売。

8月8日、7年ぶりのオリジナルアルバムとなる「@」(ほんとは小文字のaを○でかこんで「マルエー」)発売。 また、10年ぶりに「ポコチンロック」の名を冠したライブが行われる。

2000

6月9日、前メンバーであり、アンジーの足跡の中で非常に重要な位置づけであった嶋尾ジョージさん、逝去。
かねてから「地元・長門にアンジーを呼んで」...と、長門在住であったジョージさんと市役所に勤める友人との間で企画が上がっていたが、その意を受けた形で、9月23日、「第4回やまぐち県民文化祭「ふれあい夢フェスタ2000」 ヤングミュージックフェスティバル」にゲスト出演する。ジョージさん追悼ライブという形で行われ、全国からファンが駆けつけた。長門でのライブは9年ぶりであったという。

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