赤坂の駅で地下鉄を降りて、BLITZへのまっすぐな道を往く。「チケット余んないかい」と叫ぶ方々を見かけるのもやけに久しぶりだなぁと思いながら、まだ行き先がアンジーのライヴだ、という実感が沸かなかった。BLITZは目の前に広がっていた。
小さい子供を連れたお母さんとか、久々の再会に声が高まる風景とか。
徐々にじわじわと迫ってくるものがある。
ロフトのときとはまた違った思いが迫ってくる。
落ち着いていられないことだけは共通していた。開場。
小銭が足りず、外のロッカーに荷物を預けてくることができなかったので、入り口でカメラを預けることになってしまった(なんでカメラを持っていたかは聞かないように(^^;))しばし立ち止まって目の前の花環を見ると、「祝 YELLOW MONKEY」と書かれていた。
グッズ売り場はかなりスペースをもって広がっていて、かなり昔のツアーグッズが売られていたように見えた(が、ほとんど売り切れにも見えた)ちょうど目の前のひとが「火のつかないライター」(黄色、太陽の柄いり)を持っていったところだった。仕方がないので(?)Tシャツとツアーパンフを買った。(ツアーパンフ...はづかしい箇所が約6へーほーせんちめーとる(^^;))アンジーに影響を受けた人の多いこと、多岐にわたることに今更驚きを隠せなかったりした。そりゃそーだよな、とも思った(どっちなんだい)
それにしても...7年は長かった、が、こういう形で7年後を迎えることができるとは思わなかった。なんだかんだで、「アンジーじゃなきゃ駄目なんだ」という部分が自分自身を支配していた。だから「アンジー以外で好きな音楽は?」という問いにはヤスヤスと答えられない。アンジーはそれ以上でも以下でもない。それ自身だけが...という思いが強すぎた。で、自分が表現をするスペースにはどーにかしてアンジーを潜り込ませつづけてきた。後日自分のサイトの隅々を見渡して、「(買ったデジカメで)そのうちアンジーの復活ライヴを撮りたいのだけど...」と書かれているところがあったのにはさすがに驚いた。
だから、どうしてアンジーが復活に至ったのか。嬉しいし、不思議でもあるし、仕掛けた方に感謝したいというのをツアーパンフで読んだときに、そうそれそれ、と思った。マジ。
開演までの間、たっぷりとビールを飲みながら、そんなことをぼーっと考えながら立っていた。開演。眼下に「angie」と大きく書かれた赤い布。
あの「アンジー...アンジー...」のリフレイン。そして...4人。
岡やんが宇多田ヒカルばりのステップ(?)であったというのは見えなかった。せめてライブのときくらい170センチくらいタッパが欲しいなぁと思った(^^;)早速飛び上がった人影が...そりゃそうだ。はじけなければ嘘だ。それぞれの曲にそれぞれの思いが投影される。
ひたすら前を向いて、その瞬間瞬間を全力で受け止めようとする。大きく手をひろげ、大きな口を空けて。今年「アンジーのうた」に仲間入りした新曲たちも、16年前の新曲も、7年前に「まだ青い曲」だった(好きだけど、やっぱりその時は前の曲への思い入れが強かったわけで...)「夜中の3時のロマンチック」とかも、みんなナカマになって迫ってくる。そりゃそうだ。待っていたのだ。「7年ぶりの彗星」を。
いつもアンジーにしてやられる。ひとことひとこと、ひとふしひとふし、それで言いふくめられる。それが憎いほどすごい。そして、いつにも増して、ハコ全体の揺れ、響き、そういったものが、強かったような気がする。それがとても嬉しかった。
「ミミズ」のイントロで天井から鍵が降ってきて、またモノを拾ってしまったなぁと思いながら、降ってきた鍵を片手にそのまま最後まではじけた。ライブの最後に前方に岡やんが...降ってきたらしい(^^;)
そしてライブが終わり(某パスをつけた有名な方を何人か発見)、入り口で出会った方と話をしていたりしたら、係員に撤収指令をいただいた。赤坂駅の方向に流されていく。
あとになって、7年前のことを思った。やっぱり撤収を促すアナウンスのことだったが、その時の気持ちとは、かなり違った。
...また8月に。8月までは言える。そして、ファイナルツアーはこれっきりではない(と、思いたい)。
蠅の王様/すべての若き糞溜野郎ども/夜中の3時のロマンチック/掃き溜めの街で歌い始めたチンピラ達の新しいメルヘン/猿とラッキョウ/遠くまで/雨のドライブ 3つの言葉(新曲;未発表)/センチメンタル ストリート(新曲)/曲名不明(^^;)(新曲;未発表)/ゆきてかえらず/ラクダの君は砂漠のマドンナ/腹々時計/花火/銀の腕時計/アストロボーイ、アストロガール/でくのぼう/猛き風にのせて/ミミズ/天井裏から愛をこめて
<アンコール1>マグマの人よ/素晴らしい僕ら
<アンコール2>見事な夜/祈り